都響定演 別宮貞雄:チェロ協奏曲《秋》を聴きながら・・
管楽器の奏でる少し頼りなげで、飄々としたようにも思える三連符。
その上を、どこまでもどこまでも叙情的なチェロの旋律が流れはじめました。
別宮貞雄:チェロ協奏曲《秋》
指揮:下野竜也
チェロ:岡本侑也
東京都交響楽団
あわてて着席した東京文化会館の5階席。
舞台から緩やかに立ち昇る音楽。
その音楽に包まれた途端、図らずも涙が溢れてしまったのは、丹精込めて創られた音楽に久々に触れたからでしょうか。
もう、しばらくの間、邦人作曲家の音楽を聴くことはありませんでした。
けれど、この音楽会【別宮貞雄 生誕100年記念:協奏三景】には、何かに呼ばれたように、やって来た・・と感じました。
その日の朝、無造作に棚に挟んであったコンサートのチラシの束から、なぜか、この音楽会のチラシが、ぴょこっと飛び出ていたのです。
『あ、 別宮貞雄さん。』
時間の都合がついたので、夕方慌ててチケットを予約し、東京文化会館で行われた、別宮貞雄 生誕100年、没後10年を記念するコンサートに行って来ました。
別宮貞雄さんと言えば、学生の頃、ほんの一瞬、お話をしたことがありました。
それは、作曲科の学生だけが、夕方即席に集められて行われた課外授業でのこと。
母校の作曲科の教授が、友人である氏を招いて行った課外授業。
まずは別宮先生の作品を皆で鑑賞しました。
当時は、今よりはるかに” 非調性的で前衛的” な音楽を書くことがもてはやされていたような時代。
けれど、氏の音楽には調性が存在していました。
先ずは、そのことに、妙な安堵感を覚えました。
そして、それだけでなく、その旋律の叙情的な美しさに、心を奪われました。
無理矢理、その頃主流であった”非調性的な音楽”を書こうと四苦八苦していた当時の私にとって、調性のある音楽を、こんなにも叙情的に書いている別宮貞雄という作曲家は、瞬時に、”私にとっての特別な作曲家”となりました。
授業の終わりには、別宮先生へ質問の時間がありました。
それで、私は、恐れ多くも、先生へ質問させていただいたのでした。
『旋律を書くとき、私は、ものすごく迷います・・
これでよいのかどうか・・確信が持てずに、相当思い悩みます。
・・それは、理論的な問題ではなく、気持ち(心の)問題として。
これでよいという確信を持って書くには・・どうしたらよいのでしょう?』
すると、別宮先生は、しずかにお答えくださいました。
『心のなかで、何度も何度も・・よく歌ことでしょうか・・
・・・(私は)そうしています。』
とてもシンプルだけれど、それ以外にはないのだと腑に落ちました。
『心のなかで、よく歌うこと。』・・
舞台から、最上階の私のもとへ、高貴な香りのように立ち昇る、別宮先生の音楽。
しずかに耳を傾けていると、あのときの別宮先生の言葉が、深く深く心に響きました。
深まりつつある秋の夜、しめやかに奏でられる音楽。
それは、すべて別宮先生の心のなかで歌われたもの。
終演後、ホール全体が、大きな拍手に包まれました。
その日の演奏は素晴らしく、指揮者の下野竜也さん、ソリストの岡本侑也さん、ティモシー・リダウトさん、南紫音さん、そして都響の皆さんへ向け、客席からの拍手が鳴り響きました。
客席がそろそろ明るくなり始め、拍手も次第に鳴り止もうとした瞬間、指揮者の下野竜也さんが、譜面台から、とっさにスコアを取り、大きく天に向かって振りかざしました。
その瞬間が、とても嬉しく心に残りました。
きっと別宮先生も、上からご覧になり、微笑んでいらっしゃるのではないかと・・
そんなふうに思ったからです。
『ありがとうございます。』
舞台と、そして天井付近に向かい、心のなかでお礼を言い、席をたちました。
外へ出ると、音楽会の余韻のような、金木犀の香り漂う秋の夜の闇が広がっていました。
都響第959回 定期演奏会Aシリーズ
別宮貞雄生誕100年記念:協奏三景
別宮貞雄:チェロ協奏曲《秋》(1997/2001)
別宮貞雄:ヴィオラ協奏曲(1971)
別宮貞雄:ヴァイオリン協奏曲(1969)
指揮:下野竜也
チェロ:岡本侑也
ヴィオラ:ティモシー・リダウト
ヴァイオリン:南 紫音
2022年9月30日 東京文化会館