音の風景♪1月 初太鼓の洗礼を受けた晩



 毎朝起きると、寝ぼけ眼でピアノに向かって『おはよう』と言います。

それからカーテンを開け、窓から見える氏神さまと狛犬さんたちに向かって『おはようございます』と言います。

上階から眼下に向けてのご挨拶。
『上からで申し訳ありません。』・・・そう思いながら、ご挨拶します。


とりたてて信仰心が厚くなかったとしても、ここまでご近所なら、誰でも自然にご挨拶してしまうのではないか?
それくらいの近い距離で、日々、氏神さまに見守っていただいています。

というわけで、
一年の始まり、1月の音の風景は、氏神さまの一大行事、『初太鼓』の太鼓の音について書いてみようと思います。





郷里で過ごす年越し・・・日付が変わって聴こえて来るのは、除夜の鐘。

鐘の音が、夜という空間に現れては消え、現れては消えと繰り返すうちに、いつしか眠りにつく。
いつもそんな風に過ごしていました。
年越しと言えば煩悩を払う”除夜の鐘”のイメージしかありませんでした。

けれど、ある年、体調を崩し、こちらで年を越すことになりました。


そして初めて知ったのが、
ここでの年越し行事・・・

地響きがするような太鼓の音で迎える新年の行事。
『初太鼓』です。

『初太鼓』
神社での年越しの行事として、0時を過ぎると太鼓を打ち鳴らし、その響きで悪疫を退散させるのだそうです。



日付が変わる頃から町内の人々が、氏神さまの境内に集い始めます。
境内に設置された大きな太鼓の前にみるみる長い列が出来上がります。
人々の列は、境内を大きくはみ出し、前の道へ折り返すように並んでいます。


そして日付が変わると、大迫力で太鼓が打ち鳴らされ始めます。

一人一打ち。

列に並んだ人々の数だけ、太鼓が打ち鳴らされ続けます。


太鼓が打ち鳴らされるたびに部屋の窓ガラスがビリビリ響きます。
これでは到底眠りにつけません。

それならば・・・と、
モコモコ着込んで降りて行くことにしました。
太鼓叩きの列は遠目に眺めた以上に長く続いています。
列に並ぶのを早々に諦め、境内の焚き火で暖をとりながら、太鼓の音を聴くことにしました。

聴くというより、それはお肚で響きを受け止めるという感じです。
焚き火に照らされ神々しい太鼓。
代わる代わるに打ち鳴らされる大きな音。
お肚に直撃してくる太鼓の響きをを受け止めつつ眺めます。


その日は部屋に戻っても、太鼓の迫力ですっかり目が冴えてしまい眠りにつくことは出来ませんでした。
『初太鼓』の洗礼を受けた晩のこと、いまだに忘れられません。


 ふと気づけば、年齢を重ねるごとに、”年を越すこと”に対しての特別な想いが薄れていました。

忙しなく過ぎてゆくばかりの毎日の中では、年が変わるのも、昨日が今日に変わるのも同じくらいの意識になっていました。

けれど、考えてみれば、世界中に年越しの行事があり、鐘や太鼓が打ち鳴らされているわけです。
無事に新しい年を迎えられるというのは、言葉通りおめでたいことなのだ!

迫力のある太鼓の響きに、新年を迎えることの特別な感覚が蘇る経験となりました。



ここ2年、感染防止のため帰郷はせずに、こちらで年を越しました。
けれど『初太鼓』の行事もまた、感染防止のため中止されました。

そのため、あの太鼓の響きを聴くことは出来ませんでした。
太鼓だけでなく、参拝のときに鳴らす鈴さえも感染防止のために取り外されています。



それでも氏神さまへの初詣の列は途切れません。

多くの人々。
そして、それぞれの祈り。

元日には、日が暮れるまで参拝者の方々の列は途切れることがありませんでした。


いつしかまた、太鼓が打ち鳴らされ、鈴の音が聴こえてくる。
そんな日が遠からず戻ってきますように。

日が暮れ、氏神さまに灯りが点るのを眺めながら静かに祈りました。



 



















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